埼玉県の北西部に奥武蔵グリーンラインと呼ぶ、ハイキングに適した眺望の良い路がある。飯能と秩父を結ぶ国道299号と平行に武蔵野の山の尾根沿いを走っていると顔振峠にほどなく着く。
「かあぶり」と読む。顔振峠には悲劇の武将、源義経(1159~1189年)の伝説があった。兄の源頼朝に追われ義経、弁慶一行は奥州の平泉に逃げ落ちる際、この峠を越えて行ったという伝説だ。山々の美しさに振り返りながら北に向かって行ったという由来である。確かに織りなす山々は美しいが、私にはそうは思えない。この山々の向こうには鎌倉がある。兄の許しが出れば鎌倉に飛んででも行きたかったであろう。後ろ髪を引かれる思いで振り返りながら北上したと思われるのだ。義経の正妻(郷御前)は武蔵の国の出身であり、愛妾の静御前の墓は栗橋の光了寺にあると言い、単なる伝説だけではないと想定される。